批判受け止め責務全うせよ
大学教員 小林 俊哉 (群馬県安中市 51歳)
総選挙公示を報じる朝日新聞朝刊を広げて驚いた。
本誌記者が取材なしで虚偽の報告をし、その内容を含む誤った記事が掲載されたのだという。
もちろんこのようなことは決して許されない。
その経過も含め、徹底的な調査と読者への報告が必要なことはいうまでもない。
しかし同時に懸念されるのは、この件をきっかけとした「朝日バッシング」の激化であり、杞憂とは思うが、伝えるべきニュースに対して本誌の筆が鈍りはしないか、という不安である。
朝日新聞はこれまでも、ことあるごとに過剰ともいえる「批判」の対象になってきた。
その中には、目に余るような非難もあった。
今回のような「事件」は、それに格好の口実を与えるもので、その意味においてもきわめて残念である。
さらに、万が一にもそのような声をおそれて、伝えるべきことがが報道されなくなるようなことがあるならば、読者にとって損失は計り知れない。
朝日新聞に望みたいことは、言うべきことは堂々と言うという姿勢の堅持である。
今回の非を検証しつつ、報道の責務を全うして欲しい。
(2005年9月2日 富山版)
伝えるべきニュースを伝えていないって、今の日本がまさにその状況なのですけどね。
伝えるべき事柄が報じられず、代わりに捏造まみれの情報が報じられています。
朝日が「朝日バッシング」される最大の理由はその点にあるのですが、なぜこの大学教員はそれに気づかないのでしょうか?
この投稿にある『本誌記者が取材なしで虚偽の報告』とは、総選挙での新党結成について、朝日新聞が虚偽の取材メモに基づいて虚偽報道を行ったことを指すのですが、朝日ファンからすれば「ふ〜ん」程度の反応でしたね。
朝日の捏造と聞いても、自然を破壊し日中関係や日韓関係を悪化させるぐらいの実害がなければ、いちいち反応しても疲れるだけです。
「朝日バッシング」をする者からすれば、この程度の捏造報道なんて日常の出来事として処理され、「またか」と思う程度でそれほど批判の口実にはならないのですよ。
観察者ではない本当の批判者が動くときは、捏造報道によって日本や一部の善良な人たちへと被害が及びそうな時だけです。
何も朝日だからという理由で、ことあるごとに過剰ともいえる「批判」の対象に合っているわけではありません。
ことあるごとに「批判」をしなければ、また新たな火種を世界に撒き散らすからです。
これまでの外交問題のテーマを考えてみて下さい。
今、日本が抱えている国際問題のうちどのぐらいの割合が朝日発の火種だったでしょうか?
少なくとも、日中・日韓における相手側の政治カードのほとんどが朝日発です。
普通の国ではカードにすらならない物が、朝日の手によって加工され変化し、いつのまにか既成事実と化してジョーカーに変貌してしまった事柄が多々あります。
すぐに思い浮かぶだけでも、靖国問題も従軍慰安婦問題も強制連行問題も朝日発の問題として挙げることができますし、煙もない場所から山火事を起すのが朝日の十八番だからこそ厄介なのです。
まぁ、ひとまず伝えるべきニュースである中国によるチベットや東トルキスタン侵略のことなど早く報じるべきですね。
あと、韓国の凄まじい反日教育の実態や密入国してきた外国人による犯罪増加グラフも報道すべきでしょう。
普段から在日朝鮮人を通名ではなく本名で呼び、差別をなくそうと主張しているくせに、在日による犯行は常に通名で報道するといったネタ行為にはもう食傷気味ですしね。
原点に戻って正確な報道を
無職 四元 信紀(岐阜県北方町 65歳)
私は、朝日を約35年間、一日も休まず読んでいる。
「虚偽報道」という恥ずべき事態が起き、残念である。
8月31日社説は、不祥事が繰り返される組織や体質を反省し、信頼回復の方向と誓いを表明した。
決意だけに終わらず、弱点の克服にしっかり取り込んでもらいたい。
私はかつて小さな町の議員をしていた。
町長の公職選挙法違反事件などを巡って議会が紛糾し、5紙の記者が取材に来た。
空転が長時間になるにつれ、記者の態度に違いが現れた。
しびれを切らして引き上げる記者、議会事務局への電話取材に切り替える記者、午前二時になっても席を立たない記者・・・対応はさまざまだった。
その違いは、記事に歴然と現れた。
早々に引き上げた社の記事は一面的で不正確、閉会まで取材した社(朝日)の記事は、当然ながら包括的で正確だった。
今回の虚偽報道は、直接取材せず推測で二人の政治家の会話を捏造し、読者の信頼を裏切った。
「自ら確かめた記事を書く」という報道の原点に立ち返り、絶え間なく点検し、誤りを正す体制を確立してほしい。
(2005年9月4日 大阪版)
35年間休まず読んでいたのでしたら、例のサンゴ事件も知っているはずなのですが、まだ信じているのですね。
サンゴ事件という「環境保護を訴える記事を書くために自然を破壊する」という最も朝日らしい事件を目の当たりにしていても信じ続ける心は尊敬にすら値します。
基本的に朝日の主張は、問題提起の問題部分を自らの手で行うクセがあります。
35年間も読んでいるのであれば、朝日の主張通りに行った結果にどのようなことになったのか、また、朝日が反対した事柄をごり押しした場合、朝日が懸念したことが本当に起こったのかぐらいは知っていることでしょう。
捏造が発覚しても朝日を擁護する人は、ノストラダムスを信じていた方たちと同じような雰囲気を感じてしまいます。今となっては懐かしい名前ですが、彼を信じていた人は「ノストラダムスの予言が当る」から信じていたのではなく、「ノストラダムスの予言だから」信じていました。
朝日の記事は正確だと考えている人は、もう一度「クオリティペーパーであった朝日だから」正確だと感じているのか、「純粋に煽りもなく正確な記事を書いているのから」正確だと信じているのかを見つめ直しても良いかもしれません。
誤報や捏造の割合が他の新聞社と比べてどの程度あるのか?という点も考慮に入れて考えても新たな発見があるかもしれませんよ。
まぁ、この投稿文に関しては特に突っ込む点は多くはなく、別にそういう意見があっても良いとすら考えているのですが、ただ一言、これだけが言いたくてここで紹介させて頂きました。
「これ、採用したヤツは恥ずかしくないか?」
確かに読者からの声を載せただけからもしれませんが、朝日の関係者が選んでいるわけですよね。その上で、自分のところの不祥事を擁護するような投稿を普通は載せますか?
しかも、自社の社員は素晴らしいといった投稿を・・・
反省が足りないと叱咤されても文句言えませんよ。
文頭で朝日が犯した事件に対する批判をし、急に流れを変えての事件を起こした者の人格擁護、最後に朝日対する応援。
サンゴ礁事件の際、サンゴを傷つけたカメラマンを「大変責任感の強い人」と庇い、最後に「貴紙が率直な謝罪に踏み切られたことは、貴紙の新聞人としての良心が健在であることの 証左でもある」とする投稿を1989年5月24日に採用した時から何も進歩がありません。
参照:
1989年5月24日の投稿