狂想 主に朝日のゆんゆん投稿(準備中)

新聞(主に朝日新聞)に掲載された愉快で面白い投稿を論評つきで紹介します。

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狂想

Author:狂想
このブログは新聞(主に朝日新聞)に掲載された面白い投稿を軽いツッコミ付きで紹介するものです。
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6月1日は電波の日

2003/06/01(日) 21:01:39




平和の準備に9条の討議を
大学院生 北村治(神奈川県横須賀市 33歳)


 5月29日に、憲法9条の「神聖化」に対する疑問の声が掲載された。

 神聖化を問題にすることは、それに止まらずに憲法改正の議論へと道を譲ることになる。

 憲法を改正し、有事に備えれば憂いなしというわけにはいかない。
「もし汝が平和を欲するならば戦争の準備をせよ」という古代ローマのことわざとは反対に、今私たちに必要なことは、「もし汝が戦争を欲しないならば平和の準備をせよ」という平和理念ではないだろうか。

 9条は、そうした平和の準備に欠かすことのできない普遍性をもっており、それは空虚な「理想」ではなく、危機や脅威といった「現実」に単に追随することのない、批判的構想力を示唆している。

 また、9条をめぐる議論が「神学論争」と呼ばれるように、それを不毛な論争として嘲笑する向きがある。
 しかし、本来の神学論争とは、「正当」と「異端」とを分かつ命がけの論争のことである。

 他人に「信仰」を強要しないために、9条の理念について真剣に討議し合うことこそ民主主義であり、それを「真正化」する方法である。
 こうした討議は平和に暮らしたいと望む市民の間で、9条への共感や連帯の精神を育むだろう。

(2003年6月1日群馬版)


前段では、9条の神聖化は当然のことで、それを疑い討論することは日本を軍国主義へと導くと主張しておきながら、後段では他人に9条という「信仰」を強要しないためにも話し合おうって・・・
一体この投稿者は何を言っているのでしょうか?

この疑問を紐解くためには、「神学論争」に込められている2つの意味を把握する必要があります。
確かに投稿者が述べる通り「神学論争」には、本来のキリスト教史では『「正当」と「異端」とを分かつ命がけの論争』といった意味は存在します。

その意味における批判であれば、『他人に「信仰」を強要しないために、9条の理念について真剣に討議し合うことこそ民主主義であり、それを「真正化」する方法である』といった反論は正しいでしょう。

しかし、世間で嘲笑されている「神学論争」とは、『抽象的で現実離れした論争』といった不毛な論争としての意味合いで使われているのです。
そのため、上の批判は全くの的外れなものになりますし、投稿者の「神学論争」における世間との認識のズレによって、ただでさえ難解な投稿が更に難解なものになってしまいました。

普通の人間ならば「神聖化を問題視する」行為を否定しているのならば、「信仰を強制」していると考えてしまうのですが、この投稿者は9条の神聖化は前提条件と見なし、「抽象的で現実離れした」ものなんていう認識は一切持たずに話を進めてしまっていたのです。

つまり、この投稿の主張は「普遍的で絶対の法である憲法第9条を巡る議論は、その理念を活かす方向で国民的に話し合われるべきであって、そうすることによって全ての人々は信仰を「強制」されなくとも、自ら9条の素晴らしさに目覚めることでしょう」ということです。

護憲論者にとって9条とは前提条件から「信仰」であると認めちゃった貴重な投稿といえます。
しかし、この読み手を置いてけぼりにして論を進める様子や、何やら難解な語を連発して自らの結論だけを語る姿には、一昔前のインテリを思い起こさせますね。

読み手を納得させる気や自分の主張を相手に理解させる気なんてないでしょう?これ。

『有事』認める改憲は横暴だ
パソコン講師 青山 紀人(宮崎市 38歳)


 憲法を改正しようという動きが本格化している。

 平和憲法の根幹である9条の見直しを明言。
 自衛隊を認める条文とするつもりである。

 世界に誇る平和憲法がありながら、政府は自衛隊という名の軍隊を作り、現在戦争準備の有事法制を成立させようとしている。

 政府の横暴が許されてきたのである。
 憲法に対する横暴はそのまま主権者である国民に対する横暴でもある。

 太平洋戦争で250万人もの尊い命の犠牲を払って獲得したのが日本国憲法である。
 その命を私たちは決して無駄にしてはならない。

 日本が戦後、平和を維持してきたのは平和憲法があったからだ。
 米軍でもなく、自衛隊でもなく、国連でもない。
 主権者である国民の最後のよりどころが平和憲法である。

 政府はそれさえ国民から奪おうとしている。
 私たち国民は、全力を挙げて憲法改正を阻止すべきだ。

(2003年6月1日西部版)


9条さえあれば、糖尿病やガンも完治し、突然モテモテになって宝くじも当たりそうな勢いです。いっそ、神棚に日本国憲法を奉りたくなってきますね。

武力による抑止力や根回しによる連帯感で戦争を回避するのではなく、信じる心で戦争回避。ホフマンも涙を流して馬車を譲ってくれることでしょう。

信じる心が光り輝きすぎて、自衛隊や米軍はおろか国連すらも全否定。
実質的な能力は何もないのに、どうして軍隊と同様の抑止力があると考えられるのでしょうか?

護憲派の人たちが想定する世界において、戦争をするのは日本だけなのでしょうか?
確かに世界中で戦争をする国が日本だけならば、9条さえあれば戦争は起きないでしょう。

しかし、日本以外にも戦争をする国があるのでしたら、そんな言葉など防波堤の役にすら立ちません。
日本の武士道や西洋の騎士道のように、武器を持たない相手を攻撃する行為は卑怯であるという概念がない国からすれば、非武装な国家など絶好のカモです。

それでも、日本が戦後からずっと平和を維持できたのは平和憲法のおかげだと主張するのなら、全ての刑法を9条方式にすれば犯罪はなくなるはずです。
例えば、こんな感じにです。

刑法第177条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国内平和を誠実に希求し、脅迫又は暴力の行使は、姦淫する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、薬物その他の心神喪失若しくは抗拒不能にする話術は、これを保持しない。個人の姦淫権は、これを認めない。

刑法第199 条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、毒物又は暴力の行使は、殺人を犯す手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、爆発物その他の殺傷力は、これを保持しない。個人の殺人権は、これを認めない。

しかし、これでは日本国民以外の人による犯罪は規制できませんので、「日本国民」の部分を「全ての人々」とすれば、地上から全ての犯罪はなくなりますね。
そして、護憲論者は次の条文を憲法に盛り込む運動を行えば9条は究極形となります。

「日本国憲法第九条ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」 もうこのくらいやってしまえば、未来永劫平和な1000年王国の完成です。
電波の日賞TB:0CM:0
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