「黄金の島」より「愛される島」に
会社員 佐藤 英二 (東京都江東区 39歳)
マルコ・ポーロが「黄金の島」として描いた島、日本。
第二次大戦で先人たちが命がけで守ろうとした日本。
その日本は今、世界第2位の経済大国であり「軍事費」大国である。
世界第3位の借金大国でもある。
日本は本当にこのままでいいのか?これからも学歴社会を続け、少年犯罪やニートを増やし続け、自衛という名で軍事費を増やし、米国の背中ばかり追いかけて行くのか?
そんな日本に私は言いたい。
「人口が減少してもいい。強くなんかなくても、大国なんかにならなくてもいい」と。
人口密度が日本の120分の1程度しかないオーストラリアは、人口が少ないから美しい島で居られるのだし、自然を守るため、争うことより平和で居ることを願ったから自然も平和も守れたのではないかと思う。
日本も人口を減らし、海や山を奇麗にしよう。
世界に愛される美しく、まるで赤ちゃんのように小さく弱い島国にしよう。
そうすれば誰も攻めてこないと思うから。
そう信じて自然保護と平和を世界に広めよう。
(毎日新聞 2006年11月3日 東京本社版)
なんでよりにもよってオーストラリアを引き合いに出しますか?
オーストラリアを例にして「争うことよりも平和を願った」なんて自爆以外の何物でもないですよ。
そもそもオーストラリアは誕生からして争っています。
イギリスの流刑地として誕生し、先住民族のアポリジニを駆逐して国家と為した国です。
そして、徹底した白豪主義によって移民の制限及びアボリジニへの弾圧政策を続けた結果、今もなおアジア系移民に対する差別意識が残っている国でもあります。
日本人はアジア人の中でも別格と思われているため、日本人にはとても友好的ですが、その他の(特に一部の)アジア人にはかなり厳しい国なんですよね。
韓国人には石を投げる人間も未だにいるくらいです。
そんな国が自然も平和も守れているのですから、如何に言葉だけの平和主義が現実とは関係ないことを物語っています。
だいたい平和のために、人口を減らそうとは凄まじい全体主義ですよね。
減らすとは一体どういう意味なのでしょうか?
単純に一人っ子政策を進めろという意味なのか、必要ない人間を間引けという主張なのかは分かりませんが、どちらにせよ人口の数まで政府が決めるようになったら、民主主義国家としてお終いです。
そして、「世界に愛される美しく、まるで赤ちゃんのように小さく弱い島国にしよう」とは何を言っているのかすら理解できません。
日本「も」ということは、例に出したオーストラリアも「赤ちゃんのように小さく弱い島国」だとでも考えているのでしょうか?
どう地図を見ても、オーストラリアが「島国」には見えませんし、「弱い」かどうか判断するにもアメリカの対テロ戦争に賛同し、イラクに軍を派遣するぐらいの「強さ」をもっています。
だいたい「小さく弱い島国にしよう」がどのような末路を辿るか歴史を見れば分かりそうなものですよね。
幕末の志士はなぜ日本を近代国家にしようとしたのか理解しているのでしょうか?
自然界でも「赤ちゃん」のように小さく弱い動物は格好のエサですよ。
ある国では珍味として重宝されているのですが、どこまでも日本人の感覚で世界を語らないで欲しいですよね。
また、豊かな自然と言っても、オーストラリアは国土の割合から考えると決して森林面積が日本よりも多いという訳でもありません。
むしろ森林資源が乏しいのに伐採が進んでいる国として問題視されているくらいです。
・・・そっか。
将来起こりうる一年戦争勃発時に「コロニー落とし」されることを見越しての発言なんですね。
これで地球人口が半分になるわけです。
まさか宇宙世紀まで視野に入れて発言しているとは思いませんでした。
しかし、美味んぼの雁屋哲さんといい、左の人たちってオーストラリアが好きですよねぇ。
いったい何でなのでしょう?
芸能人がハワイが好きなのと同じようなものなのでしょうか?