英語で率直・平等・自由な精神を
無職 大江 三郎(大阪市平野区 76歳)
早期英語教育について、本欄でも賛否両論が掲載されている。
かなりの割合で反対意見の方が多いようだ。
いわく「日本語をしっかり習得するのが先だ」「日本語も正確に話せないのに英語でもあるまい」「日本語がしっかりしていれば外国語などいらない」などと、まるで外国語排斥論まがいの発言さえある。
帰国生徒らが疎まれることがあるのは、こんな意見の人が多いからではないか。
言語にはその国の文化が張り付いている。
従って、外国語が堪能になるほどに日本文化と衝突するという場合もある。
言語の仕組みが、封建身分社会の時代に源流を持つ現代の日本語は、典型的な縦割り社会の言葉だ。
上下意識がやたらと強い。
平等という概念が乏しく、近代社会にふさわしい言葉とは言えない。
目上に配慮してはっきりものを言わない習性が人権無視やセクハラが横行する一因でもある。
旧弊な日本語こそ今見直されるべき時ではないか。
率直で平等で自由な精神を、英語の学習を通じて学んでほしいと願う。
(毎日新聞 2006年9月7日 大阪本社版)
凄い。
セクハラ問題も人権無視も日本語が一因。
インパクトは少ない投稿ですが、噛めば噛むほど味がでるスルメのような投稿ですね。
正直、前回の英霊からのご投稿の後なので少しばかりパワー不足を感じますが、殿堂入りのレベルはクリアしていると判断いたしました。
さて、日本においてセクハラや人権無視が横行するのも、目上に対してはっきりものを言い難い日本語のせいとありますが、この投稿者は日本語で書かれたこの文章で、誰にものを言いたかったのでしょうか?
投稿者の主張では、日本語は目上に対してはものを言い難い言語だとしていることから、自分より格下な愚民に向けて発せられたものということになってしまいます。
ひょっとしたら、英語を学んで率直で平等で自由な精神を得た自分だけは、論理的に相手を批判する日本語力を見につけたと錯覚したのかもしれません。
どちらにしても、言語文化に対する平等で自由な精神とやらば身に付けていないみたいですね。
西洋文化を一方的に信仰しているだけです。
日本語は封建時代に源流を持つから縦割り社会の言語だと言うのなら、奴隷制度や資本絶対主義を源流に持つ英語は一体どうなってしまうのでしょうか?
確かに言語は文化や歴史の集大成だと言える部分はあるでしょう。
しかし、言語に社会土壌が引っ張られることはないはずです。
エスペラント語で日常会話を行えば、突然と世界市民としての生活になるかと言えばそうではないはずです。
言語はあくまでも思考をまとめ、意思を他者に伝えるための道具なのですから。
だからこそ、その国の風土に合った形として変化していくのです。
投稿者が叩く敬語の概念もそうです。
敬語があるから日本文化に上下関係が生まれたのではなく、他者に敬意を払い自らを謙遜することを肯とする文化だからこそ、発達したに過ぎません。
同様にセクハラや人権という概念も、初めから英語の中に存在していたわけではなく、西洋文化が発展する中で新たに誕生したのです。
最初から存在しなかったのなら、それを意味する言葉が生まれるわけがないですしね。
そんな投稿者に対して、英語ではなくアニメを見て育った20代の私が「サブロウ君。キミが何を言っているのか分からないよ!」と尋ねれば、快く「遺言さ」とウィットに答えてくれるのでしょうか?
エヴァネタには反応できないにしても、上下関係を重んじず自由で平等な精神を愛する投稿者なら、敬語で話さない失礼なヤツとは絶対に思わないはずですよね。
まぁ、「外国語の勉強よりも、日本語の勉強のほうが大事である」という意見に対して外国語排斥論とまで批判しておいて、自分は母国語排斥論を展開されるような方ですし、「それとこれとは話が別」と言って、怒り出すんでしょうねぇ。
なお、『大江三郎』とググると言語学者である大江三郎さんがヒットしますが、その方は既にお亡くなりになっていますので、この投稿者とは関係がないと思われます。
前回のように「私は恐れ多くも・・・」との一文がないことから、あの世からの投稿というわけではなさそうですしね。